小説1~双子~

 降りしきる雨の中。私はほんの数秒前に起きた出来事を、今でも鮮明に覚えていた。数秒前の出来事を、鮮明に思い起こすことなど、容易いなことだ。しかし、この出来事は、私がこの先、何年経っても忘れることのできない事件であろう。

 誰にも信じてはもらえない。そんな馬鹿なことがあるはずはない。しかし、それは実際に、私の目の前で起きてしまったことなのだ。

 一体これは、いつから始まっていたのだろうか。こんな結末を。やはり、私がこの町へ来た一五年前のあの日から、この事件は始まっていたのだろうか。

 

 私が初めてこの町へ来たのは、まだもの心付いていないわずか三歳の時であった。それまで私は、母、父、私、そして双子の妹の四人で静岡に暮らしていたそうだ。私がここ、東京の養護施設に来た時、まだ私は、自分の置かれている状況を理解しきれずにいた。それから二年ばかりが過ぎ、私が五歳くらいになった頃、この施設の先生が、私の経緯を詳しくおしえてくれた。

 二歳の夏、私の父、母は、結婚記念日に、私たち姉妹を、父方の祖母に預け、静岡から程近い熱海へ旅行に出掛けた。その帰り道。父が運転する車をめがけ、大型の信号無視のトラックが衝突し、母と父はそのまま亡くなったのであった。

 幼い頃の記憶が乏しい私であったが、その日のことは、なんとなく覚えていた。祖母が泣きながら受話器を持ち、誰かと話をしている姿が、時に私の記憶の中に現れるからである。

 その後、私たち姉妹は、父方の祖母の家で厄介になることにはなったが、その半年後、年金暮らしで、私たち二人の面倒を見る祖母もついに限界を感じはじめ、彼女もまた、帰らぬ人となってしまったのである。

 行く宛ての無くなった私たちを、近所の人々が哀れに思い、東京にある、施設へ連れて行ってくれた。どんな事情であれ、身寄りのない子供たちを預かってくれる、まさに天国のような施設であると、人々は、今でも口々にそう言う。私もこの施設には、この身をかえてでも返しきれない恩があり、彼らの善良さは、きっと誰よりも身をもって感じているだろう。

 もちろん、私が今までに述べた、幼い時の話は、この施設の先生方が、私におしえてくれたことだから、私の記憶としては、今は存在していない。しかし、この施設で育ててもらった恩だけは、私はいつも真実であると確信している。

 この施設に初めて来た時のことを、もう少し補足すると、さっき少しお話したように、私には双子の妹がいた。もちろんこの妹も、私と同様、この施設で育った。しかし、私がこの施設に来た時には、彼女は既に、私より早くこの施設に来ていたそうだ。私はここへは、近所に住むおじさんの車に乗せられて、来たと先生は言っている。しかし、妹は誰に静岡から、ここ東京まで連れてこられたのか。どうやってきたのか。それは先生達にもわからないそうなのだ。

 私が来る一時間前、土砂降りの雨の中、施設の運動場で泣いていた女の子がいた。先生達があわてて駆けつけると、その日ここに来ることになっていた、写真で見た私にそっくりであったため、先生達はてっきりその子を私と思い込んだそうだ。

 先生達が、私と彼女を見間違えるのは無理もない。私たちは一卵性。周りの子供たち、先生は、ここへ来て一五年が経つが、未だに私たちをどっちがどっちかをわかっていない。皆は私たちを、まるで、鏡に映したようだ、とよくからかう。私は右利きで彼女は左利き。私の右目の下に泣き黒子があるが、彼女は左下に。その他にも私たちには左右非対称なところがたくさんある。でも、お互いがやることなすことはまるで一緒。先生に聞かれた質問には二人とも全く同じ答えを返す。私が欲しいものは、彼女も同じ。そしていつも喧嘩になるが、仲直りのタイミングもいつも同じ。

 ただ、私たちには違うところが二つだけあった。私がこの施設に来た時、母の形見であるハート型のネックレスの片割れを持っていたのであった。事故後、警察が調べた後、母の遺体の側にそのネックレスが、奇跡的に原型を留めたまま転がっていたそうだ。このネックレスは、父が、母と付き合いはじめた頃プレゼントしたものであり、父の片割れとはペアになっている。事故後、父の方のネックレスは、跡形もなく粉々になっていたのだろう。検出結果はでなかったようだ。

 その母が持っていた片方のネックレスは、そのまま遺品として私が受け取ることになったが、なぜ私たち姉妹にではなく、私だけがこのネックレスを所有することになってしまったのか。私にはネックレスがあり、妹にはない。これが一つ目のお互いの相違点である。

 もう一つは、妹は時折、空を見上げては何か別のことを考えているような、そんな憂鬱な姿を目にする。しかしそれは、私の思う直感であり、彼女にはそんな意識がないのかもしれない。彼女に直接そのことを聞いた訳ではないし、双子といえども私たちは別々の人間。違いがあってもおかしくはない。

 そんなことは、この施設にいる限りはどうでもいいことではあった。でも、この時、私が彼女との違いをもう少し意識していれば、その後、あんな奇怪な事件を目にすることもなかったのかもしれない。やはりあの時も、あれが夢ではなかったのだということに気づいていたならば。

 

 私が施設に来た三年後。六歳になり、既に私には自分の置かれていた状況。そして、周囲の友達や先生のことを認識していた。施設にもすっかりと慣れていたのである。そんなある日の昼休みのこと。私は数人の友達と運動場でかくれんぼをしていた。私は運動場の端にある花壇の側の木の陰に隠れていた。すると、それまで快晴の空であったにもかかわらず、急に空が雨雲に包まれ、雷が鳴り響いた。私は幼い頃から、雷は大の苦手であり、その場で身動きがとれずにいた。

友達「早く」

 と、部屋に戻った友達の一人が、私に呼びかけても、腰を抜かしてしまっている私は立つことすらもままならなかった。そしてついに雷は、私のすぐ真上を通じ、一直線に私めがけて落ちてきたのである。もちろんそれから、私は気を失ってしまっていた。おそらく五分間くらいであろうか。気が付くと私はさっきの運動場で倒れこんでいた。しかし、様子がいつもと違っていた。いつもは北の方角にある教室が、なぜだか南に位置していた。私はためらいはしたが、いつものように教室からは皆の姿が見えていた。私は教室へと一目散に駆けていった。しかしそこでも、いつもとは少し違いがあった。教室のドアは右側が閉め切りであり、左を開けて入るのだが、それが左右真逆になっていたのである。

 またためらいはしたが、とにかく私は教室へと入っていった。しかし、最も驚いたのはその後からである。部屋に入るといつものように、先生が前に立ち、十二人の生徒が床に座りながら先生の話しを聞いていた。私は、友人のよっちゃんと一番最初に目が合った。でもよっちゃんは、私の顔を見て、いつものように微笑み返してはくれなかった。それどころか、よっちゃんを含めた教室にいた人たちは、私の顔を不思議そうに見ていたのであった。そして、律子先生が私に言った。

律子先生「あなた。いったい誰」

はじめは、何かの冗談を言っているのだと思っていた。しかし、私が近づいていくと、脅える他の生徒達に気づいた。何よりも、いつもは私に対して気遣ってくれる皆が、さっきまで嵐の中にいた私に、誰も心配の言葉をかけてくれなかった。

「やはり、何かが違う。皆私を忘れてしまったのか」そう思った。そんな時、私が教室の天井近くの壁を見上げると、いつもはないはずのものが飾られていた。それは、なぜだかわからないが、私の幼い頃の写真。しかも、ちょうどこの施設に来た三歳頃の写真であった。

 私は思わず写真を指さ指し、声に出して言った。

亜美「あっ。あれは」

それを聞いた律子先生が、私に言った。

「あなた。亜美ちゃんを知っているの。彼女はね。三年前、急にこの施設から姿を消したのよ。そういえば、こんな土砂降りの雨の日だったかしらね」

私は言葉を失った。「亜美は私。私はずっとこの施設で暮らしてきたのに。なぜ」

すると律子先生が、私に近づき言った。

律子先生「あなた。まさか」

 そう言うと律子先生は、私の額に左手を置き目をとじだ。その時、私の頭の中は、フラッシュバックのように幼い頃の記憶が次々と現れた。そして。

律子先生「やっぱり。あなた亜美ちゃんね。どうやってここへ来たの」

私はなぜか、その言葉が怖くなり、一目散にその場から逃げ去った。律子先生は、そんな私の姿を見て止めに入ろうとした。

律子先生「待って。今外は危ないわ。また雷が鳴っているでしょ」

 頭が真っ白になっていた私は、先生の話を聞き入れることなく、運動場へ飛び出して行った。すると、私の頭上にまたしても雨雲が近づき、私を目掛けて雷が降ってきた。

 そして、私は再び数分間意識を失っていた。気が付くと、私は施設の友達や先生に囲まれながら、運動場で倒れていた。そして、先生が私に言った。

律子先生「亜美ちゃん。よかったわ気が付いて。しかも怪我ひとつしていないじゃない」

 私もふと我に帰った。先生は私を覚えている。友達も心配そうに私を見つめている。ここは、いつもの運動場。いつもと同じ場所に教室がある。なら、さっきのは夢だったのだろうか。

律子先生「皆。心配しなくてもいいわ。亜美ちゃんは元気よ。さあ、教室へ戻りましょう」

教室のドアは、右が締め切りで、左を開けるようになっていた。なにもかもが元通りになっていた。「私はきっと夢を見ていたんだ」私はそう思い込み、いつもと変わらない日常を過ごし、その日を終えた。そして、その日のことは時がたつたび、古い記憶へと化していったのだった。

しかし。今ならはっきり言える。あれは夢なんかじゃなかった。この数日間で、私が体験した、この奇怪な出来事の、いわば前触れであったのだ。なぜ、あの日、妹の亜紀が、私を心配せずに、私を避けるようにしていたのか。今ならその理由がわかる。それに気づくべきであったのだ。

 

私が施設に来て十五年の月日が流れた。あの出来事が既に、記憶の奥底に沈められたものとなっていた今の自分。私は高校を卒業し、十八の誕生日を迎え、社会人となった。といっても、働く先は施設。二年前に急に先生が他界し、人手不足となっていたこの施設で、先生への憧れと、この施設への恩返しを兼ねて、施設への就職を決意した。同じ時期に高校を卒業した、妹の亜紀は、神奈川のアパレル関係の会社に就職が決まり、今は横浜市で一人暮らしをしている。ここ、東京の新宿区と横浜市はそんなに距離があるわけでもなく、今のところ週に一度のペースで会っている。私たちは、いつも通り仲良しというわけだ。

そんなある日のこと、一六年前に死んだ私の両親を知るという人物から、施設へ手紙が届いた。彼は、父の元同僚であり、母とも親しい人物であったそうだ。そんな彼が、ひょんな事から私のことを知り、亡くなる前に両親が彼に送った私たちの写真を手紙と同封して送ってくださった。

手紙「拝啓亜美様お元気でしょうか。私はあなたの父の同僚であった山本と申します。このたび、押入れを整理していたところ、亜美さんのご家族、全員が写った写真を三枚見つけました。私が持っているのもなんなので、これをあなたにお送りしようと思い、お手紙を書かせていただきました」

短めの文章であったが、彼の真心を感じることができた。そして私は、同封された写真を三枚拝見した。

しかし、私はあることに気が付いてしまったのである。一枚目の病院で母が私を抱き、「亜美誕生」と書かれている写真にも。二枚目の自宅での写真にも、三枚目の祖母の家で遊んでいる写真にも、妹の亜紀の姿がないのである。

私は驚いてしまい、写真を送ってくださった山本さんの手紙に書かれていた電話番号に電話をかけた。

山本さんが言うには、両親がまだ生きていた頃、何度か私の家を訪ねたが、子供は私しか知らず、両親からも、一人っ子であるとしか聞いていないというのだ。

さらに私はいても立ってもおれず、市役所へ連絡した。だがやはり、住民票には私と両親の名前しか存在していなかった。その時既に、嫌な予感を感じ鳥肌が立ってしまっていた。

亜紀は一体何者なのか。世の中に、亜紀ほど私に似た人物はいない。常識で考えるならば双子に間違いない。でも、もっと言うならば、彼女は私そのものだ。何をする時も同じ行動。同じ趣味。同じ口癖。彼女の痛みは私の痛みでもあった。口にはしなかったけど、きっと彼女もそうであったはず。

それでも、彼女は何かを隠していた。それは薄々感づいていた。高校を卒業した後も、彼女は逃げるように横浜へと引っ越していった。私に何かを知られないために。きっとそうだ。

その日は土曜日で、仕事もなかった。明日は毎週、亜紀と会う日曜日。今週は彼女がこっちに出てきてくれるといっていた。

実の妹であると思っていた。今でも私のかわいい妹であるが、真実を知らなくてはならない。その日、私は決意した。

次の日、昨日とは打って変わって土砂降りの雨となった。昼過ぎに亜紀は新宿駅へ来た。

この土砂降りであるため、予定していたコースを変え、喫茶店でゆっくり話しがしたいと彼女に伝えた。   

最初は、たわいもない話で盛り上がっていた。亜紀はいつもの亜紀であった。私のかわいい妹。真実を知ってしまうのは怖ろしい。なぜか、亜紀が亜紀でなくなってしまうような気がしてならなかったからだ。

私は、彼女に聞くべきことをためらっていた。しかし、それが次第に表情へと変わっていったのである。そして。

亜紀「お姉ちゃん。どうしたの。顔色が」

亜美「ううん。私は平気よ」

亜紀「・・・」

亜美「ねえ亜紀。私たち、双子の姉妹だよね」

亜紀「なっ、何よお姉ちゃんいきなり」

亜紀の表情が一遍に変わった。

亜美「いいえ。もしも、もしもよ。私たちが、本当の姉妹じゃなかったとしたら」

亜紀「なにを馬鹿なことを言っているのお姉ちゃん。私は亜紀よ。あなたの妹の亜紀なのよ」

亜美「私もそう信じたいわよ。でも、これを見て」

私はポケットから、山本さんから送られてきた写真を彼女に見せた。

亜美「この三枚の写真の中にあなたの姿が一枚もないのよ。この写真を送ってくださった方も、亜紀という娘はいなかったと。市役所の人も、子供は亜美という娘しかいないといっていたわ。ねえ。知っているならおしえて。あなたは誰なの。どこから来たの」

亜紀は泣き出しそうな表情をしながら私に言った。

亜紀「そんなこと知らないは。私はわからないわ」

そう言うと亜紀は喫茶店を飛び出し、土砂降りの雨の中を走って行った。私も彼女の後を追いかけていった。

交差点を渡り、歩道橋を越え、それでも亜紀は走り続けた。気が付くと私たちは、共に育った施設の運動場へと入っていき、ようやくそこで亜紀は立ち止まった。そして息を切らしながら亜紀は私に言った。

亜紀「それ以上近寄らないで。知られたくなかった。私、ずっとお姉ちゃんと一緒にいたかったんだもん。でも、もうだめだわ」

その時、亜紀の頭上に雷が落ちてきた。私は不意に十二年前のあの日のことを思い出した。

気が付くと目の前に不思議な円形の空間が現れた。それはまるで、この運動場を鏡に映したような光景であった。その空間の向こう側に亜紀が立っていた。

亜紀「ここが本来私のいるべき世界なのよ。十二年前にお姉ちゃんも来たことあるはずよ。私のこっちでの名前は亜美。そう、あなたと同じ名前。だって、私はこっちの世界でのあなたなのだから。一五年前、こっちの世界の運動場で、私は一人で泣きながらいたのよ。ママに会いたいと。あなたはここまでは気づいていなかったでしょう。私も、あなたと同じペンダント、いいえ、性格には、左右対称の形をしたペンダントを持っていたのよ」

亜紀はポケットからペンダントを取り出した。

亜紀「このペンダントを持って私は祈ったのよ、この正反対の形を持っている人に会いたい。それがきっとママだと私は思ったからよ。その時、私の頭上に雷が落ちて、気が付くともう私はそっちの世界にいたのよ。きっと一二年前のあなたも同じように驚いたでしょうね。私はまた泣きながら運動場に座り込んでいたわ。そしたら先生が私に気づいたの。先生は私の名前、亜美を知っていたわ。あなただと思い込んだのでしょうね。でも、そのままだといつかはばれてしまう。だから私は先生の記憶を少し変えたのよ。新しく来る生徒は双子だって。気づかなかったと思うけど、こっちの世界で唯一違うことは、そっちの世界で言う、魔術みたいな物が使えるのよ。それからはそっちの世界で一度も魔術は使っていないわ」

私は一二年前のあの日、律子先生が私の額に手をあてた時に感じた、あの不思議な気持ちを思い出した」

亜紀「それからすぐ後にあなたが来たわ。そして私のとは正反対の形をしたペンダントを持ってね。私の願いは叶わなかったわ。現れたのは、ママじゃなくてあなただったのだから。その後、私はなんとなく、そっちの世界とこっちの世界の存在に気づいたわ。そして、私には最後に残されたあなたがいるのだということにも気づかされた。あなたは私。あなたは私の心を映し出すような存在で、最後の心のよりどころだったわ。でも、もう一緒にはいられないわ。他人に知れたら何かと面倒でしょ。あなたには迷惑をかけたくないの。そして」

縮んでゆく空間の狭間から、亜紀は私に向かってペンダントを投げた。

亜紀「私にはもうこのペンダントは必要ないわ。もうこっちの世界で生きていくことを決めたから。そもそも、そのペンダントが私をそっちの世界に来させたのだと思うの。あなたの持つペンダントと合せてみて。きっちりとハートマークになるはずよ。それはあなたに持っていてもらいたいの。幸せになってほしいから。

  • ・・元気でねお姉ぇ・・・いいえ亜美」

縮んでいった空間はついに完全に封鎖された。そして土砂降りの雨の中、私は運動場に立ちすくんでいた。右手に二つのペンダントを持ちながら。

 その後、私は仕事の関係で知り合った彼と結婚し、幸せな家庭を築くことができた。ペンダントは、片方を私が、もう片方を夫が持っている。

 そんな中で私は忘れるはずのない、亜紀のことを思い出し、時々考える。この世界には、私たちの知らないもう一つの世界がある。そして、どちらの世界にも、喜び苦しみ、そして幸福があるのだと。あれから、亜紀はどうなったかはわからない。でも、きっと私がこの世界で幸せなように、亜紀もきっと幸せな日々を過ごしているはずだ。だって亜紀は、向こうの世界の私なのだから。亜紀が祈ったように私も祈りたい。

亜紀・亜美「どうか、幸せでありますように」